本になりたいか。メガネになりたいか。
- Shinwa Miyachi
- 1月31日
- 読了時間: 2分
更新日:2月9日
選択肢をなるべく多く残せるように生きてきた。だけど、本当に僕がやりたいことは何か、僕にはわからない。
学校という場所は、不思議な場所です。この不思議な場所における、放課後という時間はさらに不思議です。生徒の吐露が、漏れ聞こえてくるからです。そんな時間が、私はとても心地よくそして何より大切な時間だとしています。
今日もそんな何気ない、いつもの放課後で非常に興味深く心ゆれる話を生徒(仮名Aさん)が話してくれました。その一幕が、冒頭の文章です。(宮地の解釈を多分に含みます)
ここからはそんな生徒との対話の一部です。
ゆったりとした時間の中で、「いかに生きていくのか」という歯応え強めなテーマを、
ねぶるかのようにふやかしながら紐解いていました。
そんな中、ふと私の話になりました。「先生はどんな生徒だったんですか?」と。
不真面目な生徒でした、と答えました。特に高校のときには、授業も課題も何もしてなかったと。だから、勉強もそんなに好きではなかったと。「でも、先生になったんですね。」と、一言つっこんでもらえたので、さらに続けてこう言いました。
勉強を教えたいわけではないからね。教育したいのよ。
すると続けてAさん。
「先生でありたいか、教師でありたいかって感じですね」
(さらにいくつか会話したのちに・・・)
「どこかでこんな言葉を聞きましたね。”本になりたいか、メガネになりたいか。”って。」
Aさんからのこの一言が、私の琴線に触れました。
すぐさま私の脳内では、
本(=その人にしかない、蓄えた知識を公開する人)になりたいのか。
メガネ(=その人にしかない、見方(レンズ)を伝授する人)になりたいのか。
と自分の解釈が生まれていました。
その時は、どちらかというと僕は後者なのかな?と答えましたが・・・。
今になって考えてみると、後者でも少し不十分かなと思います。
自分の見方を伝授するというのは、少しおこがましいのですが、
「こういう見方をする人間です。」と話すことは、時々あります。
受け取るか、受け取らないかは生徒の裁量に委ねます。
これに加えて
見方を変えてみることのおもしろさであったり、
見方を用いて理解を構築することのおもしろさであったり、
見方の違う他者と解釈を混ぜ合わせて、意味を構成していくことのおもしろさであったり、
そういったことを私は教えたいのかもしれません。
これって、モノに例えると何になるんだろう。
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