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教師が育てるのは、釣り人か、お客様か。

  • 執筆者の写真: Shinwa Miyachi
    Shinwa Miyachi
  • 3月20日
  • 読了時間: 3分

今年度のすべての授業が終了しました。

教科担任として授業を担当していたすべての学級に伝えていたことがあります。


情報を得ようとする人になるか、情報を受けとる人になるか。

です。こんな絵を黒板に書き殴りました。

Angler or Customer
Angler or Customer

「釣り人になるか、お客様になるか。」と生徒に問うてきました。

釣り人は、自分の狙う魚を自ら釣る。

自分の狙う魚の好みの餌は何か。何匹釣りたいか。どれぐらいの時間が必要か。問題となることはあるか。魚を釣るために試行錯誤することを重要視します。

お客様は、美味しく調理された魚を食べる。

その魚は美味しいかどうか。その魚はどれくらい価値があるのか。その魚を食べている自分は満足かどうか。食べることによって、得られるメリットは何か。魚自体の価値を重要視します。魚をお行儀よく飲み込むことも重要です。

 

魚は”情報”のメタファーです。

自ら自分に必要だと思う情報を自ら取りに行く釣り人。

与えられる情報をお行儀よく口を開けて受け取るお客様。

これまでは、お行儀よく情報を受け取ることが”良い”とされてきました。

今現在、情報は誰でもどこでもいつでも手に入れられます。

であればこれからは、情報を自ら獲得しに行く人の方が”良い”のかもしれないと思います。


少なくとも間違いないのは、”今の子供達が未来のよりよい社会を作る。”ということです。

ただ口を開けて待っているだけの人のスタンスでは、現状維持はできたとしても、よりよい社会をつくるのは難しいのではないでしょうか。


私たち教育者は、往々にして生徒を管理下に置きたがります。生徒を信頼して手放すどころか、むしろ如何に問題を起こさせないかということに時間と労力を割きます。

その上、生徒をお客様にしたければ、生徒は徹底した管理下に置かれるでしょう。お客様にリスクは負わせられないからです。そして最も時間と労力を割くのは、如何に厳選した魚を美味しく提供できるか。ということです。魚の選別・調理・食べさせ方について、熟考します。


生徒を釣り人にしたければ、喜んで生徒を手放す必要があります。そしてあえてリスクを背負わせます。どこで釣るのか。餌は何にするのか。どんな魚が得られたのか。あるいは得られなかったのか。これらの選択を自分でしなければ、真の意味で試行錯誤が伴わないからです。釣果について説明する責任も伴うでしょう。

私にとってより良い釣果を上げるにはどうしたらいいのか?釣り人がそのような問題意識を自分自身で抱えた時初めて、教師が教える意味が生まれます。

何を教えるのか。”釣り方”です。決して魚を直接手渡したり、ましてや調理したり、調理した魚を口に運んだりすることはありません。少しでもそのようなことをしてしまうと、釣り人は自分で釣ることをやめ、お客様になろうとするからです。


実際、今年の私の実践を振り返ってみると上記のような釣り人を育てるための理想とはかけ離れた実践でした。ある時は魚を選び、またある時は魚を調理して口に運ぶこともしてきました。それは何を隠そう、生徒からのニーズがあったからです。

しかし結局のところ、そのような実践はお客様をつくってしまっていました。私たち教師が育てたいのは、よりよい釣り人か、それともよりよいお客様か。よくよく自分の実践を顧みなければならないような気がしています。

 
 
 

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