”学習”という言葉の捉え方
- Shinwa Miyachi
- 1月25日
- 読了時間: 3分
”学習”という言葉に、日々違和感を覚えています。
私は教育する人として、この学習という言葉をどう捉えておく必要があるんだろう。
今回はそんな”学習”という言葉の迷いを生んでいる、私のいくつかの体験を書き残しておきます。
事例1 とある生徒との会話
先日、とある場で生徒とこんな話をする機会がありました。
Mr.S「自分の得意な学習って何?」
生徒A「得意な教科は数学です。(以下略)」
一方とある生徒は、同じ質問に対してこのような回答でした。
生徒B「えっと・・・学習って学習方法のことですか?それとも教科のことですか?」
事例2 とあるワークショップでの言葉
とあるオンラインワークショップに参加していた時のことです。(時系列的に話すと、こちらの体験の方が事例1より先になります)
その中で、「”学習する”という言葉をどのように捉えるのか。」と問われました。
以下、僕の脳内記憶ではありますがその時に話された内容は以下のような内容でした。
”学習する”と聞くと、とかく人は学校、社会といった特定の場所や限られた時間の中で行われることを想起しがちです。私は”学習する”という言葉を、より広くとらえています。
例えば、赤ちゃんが立った時。赤ちゃんが1歩、歩み始めた時。それも”学習した”と呼べますよね。(以下略・・・)
事例3 ある先生との会話
私が作成したリフレクションシートに書かれていた言葉を見て、ある先生が一言。
ある先生
「最も重要だと思うあなたの学びはなんですか。と書かれてあるけれど、これじゃ知ったことなのか、わかったことなのか、できたことなのか。何を聞かれているのかが、わからないです」
【この3つの事例から考えること】
事例1に登場した生徒A・Bの2人は、どちらも共通して”学校”という文脈の中で語られている言葉の使い方だと私は解釈しました。生徒Aの脳内では、学習すること=教科と結び付けられた何か。という認識が強いのかもしれないなと、この短い問答から見てとることができたのです。生徒Bの脳内はというと、学習することの中にはいくつかの要素があり、その中のうち学習方法と教科内容という2つの選択肢を表に出してきてくれたのだと私は受け取りました。
事例2は、学習するという言葉を”学校”という文脈では捉えていません。なんてったって、赤ちゃんの事例が出てきていますから。”学習”という事柄はそこら中に散らばっており、特定の場所に宿るものではないのだ。このような認識を話していただいた言葉と共に、スッと腑に落とし込んだ記憶があります。
事例3。書いていて思いましたが、おそらく私は”学習”という言葉を動詞的に捉えています。その学習という行為を経て得られる産物が”学び”と理解しているようです。この事例は先生あるあるなのですが、先生は”知る”、”わかる”、”できる”をわけて考えるよう訓練されています。子供からしたら、どれを問われているのかがわからないでしょう?という教師である私にも至極納得のいくフィードバックでした。(”わかった”ことは、そもそも文字に起こすには難易度が高い。というのが私の持論であり尊敬する師の受け売りでもあります。)
どの事例も誰がいつどこで発した言葉であるかが違うので、当然意味合いが変わるのですが。教育する人としては、この”学習”という言葉をどのように捉えているのか。そしてその認識を如何にして教えるのか。ここに教師としての真価が問われる気がしております。
Comments